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毎月、高槻市で素読の会を開いています。「素読とは」「素読について」「家庭での素読に仕方」など「素読」に関心をお持ちの方必見の記事も多数アップしています。
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18日の素読の集い寿栄会場で、終了後にあるお年寄りから次のような話がありました。
「前回の『目で聞きなさい。』(2月3日のブログで紹介)の『虫が這い』の言葉がきっかけで女学校で習った詩を思い出しました。」ということです。「素読をしていてもこの年になると暗唱がなかなかできませんが、60年以上前に習った詩を思い出せるなんて思ってもみませんでした。」と次の詩を暗誦してくれました。ネットで調べると英文の原詩もほとんど間違っていませんでした。若いころに身につけたものは、一生残っているもののようです。(裕)
春の朝  ロバート・ブラウニング
時は春、  
日は朝、       
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀アゲヒバリ名乗りいで、
蝸牛カタツムリ枝に這ひハイ
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(上田敏訳・「海潮音」より)
The year's at the spring,
The day's at the morn;
Morning's at seven;
The hillside's dew pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in His heaven,
All's right with the world!

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今日の東日本大震災追悼慰式に時間短縮ではありますが、天皇・皇后両陛下が御出席されました。陛下は強い出席の意向を示されておられたということで、心臓の冠動脈バイパス手術とその後の治療も今日の日のために合わせてお受けになられたのだと思われます。陛下の強い御意志を感じざるを得ません。陛下は「被災者や被災地のために働いてきた人々の尽力を深くねぎらいたい。また、世界各地の人々が大震災に示した厚情に深く感謝している。国民が被災地の状況が改善されていくよう、たゆみなく努力を続けていくよう期待している」と述べられました。
 陛下は昨年3月16日に、ビデオメッセージを発表され、被災者を励ますとともに被災地に心を寄せ続けることを訴えられました。被災地ではテレビも無く、ネットでも見ることのできない状況でした。今日は、被災地各地でも同時刻に追悼式が行われていますが、今回の陛下の御言葉は被災者の方々に届いているのではないかと思います。
 国民が相協力し一致団結して大震災の国難を克服し1日も早い復興を祈念申し上げます。(裕)

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今日も、府立高校の卒業式に参加しました。驚いたことに式次第に『仰げば尊し』がありました。卒業生の歌としてです。卒業生の歌は、小学校でも最近の流行りの歌手の歌が歌われることが多く、『仰げば尊し』は私自身の中学校の卒業式以来です。私は、教師が保護者、児童・生徒から信頼され、尊敬され、慕われなければ、本当の教育はできないと思っています。教師が信頼に足る教師でなければいけないことももちろん大切ですが、今は子どもたちまでが教師を馬鹿にする風潮が気にかかるのです。昔は女学校出たての代用教員でも勤まっていたのは、教師という職業に対する信頼や尊敬の上に成り立っていた面もあったのではないのかと思うのです。その意味で卒業生が『仰げば尊し』を歌うこの高校の生徒は幸せなのだと思います。朝、通りかかると先生たちが出迎え、生徒とあいさつを交わす姿に清々しさを感じていましたが、卒業式も素晴らしいものでした。(裕)

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筑紫のきわみ 陸の奥 海山遠く へだつとも
その真心は へだてなく ひとえに尽くせ 国のため

千島の奥も 沖縄も 八洲のうちの 守りなり
いたらん国に いさおしく つとめよわがせ つつがなく


・・・上の歌詞は何の歌かおわかりしょうか?
『蛍の光』の3番と4番です。
 今日は、先週金曜日に続いて、府立高校の卒業式に参加しました。今日の卒業式でも『蛍の光』が歌われました。校長先生も「初めてです。」と言われていましたが、2校続くとは思ってもみませんでした。しかし、何か物足りないと感じていたのは、『仰げば尊し』が歌われなかったためでもありますが、『蛍の光』が2番までしか歌われなかったことに、帰りに気付きました。まほろば小学生合宿では、6年生を送る意味で最後に「蛍の光」を歌いますが4番まで歌っています。残念ながら、今の学校では無理なのかもしれません。(裕)

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 暖かい日は一日しか持たず、昨日から最低気温は氷点下となり、今日は、朝早くに僅かばかりとはいえ雪が降りました。
 『春の雪』と言えば、私自身は戦後生まれながら『2・26事件』を思い浮かべます。歴史的な評価は置きますが、昭和天皇と鈴木貫太郎について語っておきたいと思います。
 戦後、昭和天皇は自らの治世を振り返り、立憲君主の枠組みを超えて行動せざるを得なかった例外として、2・26事件と終戦時の御前会議の二つを挙げておられます。その二つともに深く関わりのあったのが鈴木貫太郎であったのです。2・26事件では陛下を輔弼すべき首相、侍従長、内大臣の全てが襲撃されていて、天皇御自ら善後策を講じなけらばならないお立場であらせられたのです。鈴木は陛下を輔弼すべき侍従長でしたが、襲撃され瀕死の重体となりました。しかしながら、襲撃した安藤大尉が、鈴木の妻たかの懇願により止めを刺さず、敬礼をして立ち去ったため一命を取り止めたのです。その鈴木が終戦時には、御前会議において意見が対立し、結論が出せない膠着状態の中で、首相として御聖断を仰ぎ、陛下のポツダム宣言受諾の御意思を得て終戦へと導いたのでした。全く運命の不思議と感じざるを得ません。(裕)
 

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