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毎月、高槻市で素読の会を開いています。「素読とは」「素読について」「家庭での素読に仕方」など「素読」に関心をお持ちの方必見の記事も多数アップしています。
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 素読とは?素読のおこない方について大切なことを伝え広めていきたい!と思いながら、今までブログで書いてきたことはまとまりがなく、日記的なことを間にはさみまとまりがなかったことを感じます素読についてバラバラに書いてきたことを明日からまとめて考えてみて行きたいと思います。(裕)

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 素読は最近見直されつつありますが、英語教育の隆盛には遠く及びません。親の世代が8年前後毎日ほど英語の学習をしても英語圏の人と英語で会話ができない現実が子どもには幼児から学ばせようとする要因の一つのようです。それから、国際化が進み、今までのように一生日本語だけでは過ごしていけなくなる。英語が話せなければ就職も難しくなる。そういったことが、英語早教育に拍車をかけているのでしょう。
 しかしながら、明治時代を振り返るなら、外国語を自由にこなした文化人は珍しくありません。有名なところでは、英語の福沢諭吉、夏目漱石。ドイツ語の森鴎外。フランス語の中江兆民。みな、四書・五経、唐詩選など漢詩漢文を子どものころから徹底的に素読によって身につけていた人たちです。漢文という古代の中国語を日本語に置き換えて学んでいるのです。この学習方法が、外国語を学ぶ上で大いに役立っていたということがいえると思うのです。(裕)

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 述懐ジュッカイ    頼 山陽 ライサンヨウ
十有三春秋  逝く者は已スデに水の如し
天地始終シジュウ無く    人生生死有り
イズくんぞ古人に類して
千載センザイ青史セイシに列レッするを得ん

意味・・・十三歳となって、これまでを振りかえってみると、月日は川の流れのように過ぎ去ってもう二度と帰っては来ない。天地は永遠であり、始めも終わりも無い。しかし、人間には必ず生があり、死がある。それならば、なんとかして歴史上の偉人のように、自分も歴史の上に名を連ねたいものだ。

・・・頼山陽の数え年14歳の正月の作です。満年齢では12、3歳です。今なら中学2年生でしょうか。これほどの確たる人生観を持ち、表現できる子がいるでしょうか。しかし、幕末には橋本佐内や吉田松陰など山陽に負けないほどの天才や、維新の志士といわれる人たちが綺羅星のごとく生まれでたのです。皆、すばらしい和歌、漢詩や文章を残しています。
 明治の初めから中ごろにかけて、福沢諭吉や文部省の役人、教師たちが批判したように、『素読暗唱』が無用で時間の浪費だけのものであったなら、これほどの人材を生み出しえたでしょうか?いかに天分を持った人でも『素読暗唱』という優れた教育システムがなかったなら起こり得ないことだったと思います。それどころか、福沢諭吉の蘭学、英語の才も子供のころの『素読』によって身についた能力の応用であったと思うのです。(裕)

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  最近は、素読が見直されています。素読に関する本もたくさん出版されています。各地で素読教室が開かれています。しかし、わずか10年ほど前には、『素読』という言葉さえ知らない人が多かったし、たとえ知っていても素読など時代遅れの封建的な教育法と見る人の方が多かったように思います。この風潮は戦後に始まったものではありません。明治の初めには既に福沢諭吉が実学の立場から批判し、坪内逍遥は素読をやられていたころの恐ろしさを語る。文部省の役人も、子供の無用の能力を費やすだけと断じています。明治20~30年代には現場教師による丸暗記・丸写しに対する批判があり、湯川秀樹博士の祖父のように頑固に素読教育を孫に教えるということなどは特殊な例だったようです。私には福沢諭吉や坪内逍遥の知性や品格が本人は自覚がなかったのでしょうが、素読のおかげで身についたものとしか思えないのです。(裕)

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 今年から全面実施の小学校学習指導要領は、5年生から英語の授業が始まっています。既に移行措置でほとんどすべての小学校で数年前から何らかの形で英語授業が実施されていたと思われます。それに伴って英語の早期教育も盛んになっているのではないでしょうか。とくに実用英語を重視しているようです。しかしながらtoeflで相当な高得点を取りながら、米国に留学して間もなく引きこもり状態となった学生の話を新聞で読んだことがあります。日本のことを聞かれると答えられなかったからだということです。いくら英語が得意でも話す内容が自分になければ話しようがないということです。中国や日本の古典を素読で身につけることは人間としてのバックボーンを育てることにつながるのです。
 素読は江戸時代に長年にわたる経験から、数えの6歳から始めるならわしとなっていたそうです。素読を幼児から始めるのは早期教育でなく適期教育であり無理がないということです。戦後教育で育った私は、60の手習いをしていますが、戦後教育が捨て去ったものの大きさを感じざるを得ません。今の子には、素読を未来への投資として与えてあげたいのです。(裕)、

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