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毎月、高槻市で素読の会を開いています。「素読とは」「素読について」「家庭での素読に仕方」など「素読」に関心をお持ちの方必見の記事も多数アップしています。
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卯の花や くらき柳の およびごし 芭蕉
 上の写真、左は『玉川の里』にある芭蕉の句碑です。芭蕉の150回忌に天保14年この付近に建てられたと伝えられています。卯の花やの句が彫られています。
 右は句碑近くの卯の花です。ちょうど咲き始めたところです。来週あたり見ごろではないかと思います。夕方ここで卯の花を見て、暗くなりだしたら新川に向かいヒメボタルを鑑賞するのも風流かと思います。そう上手くいくかどうかは自然相手のことなので天にお任せするだけですが。24.5.11(裕)

 なお、卯の花の句は、『玉川の里』(旧 三箇牧村西面 ・現 高槻市玉川)ではなく別の地のことを詠んだものという説があります。芭蕉の日記では富田(現高槻市富田町)に滞在した記述はあるが、『玉川の里』の記述が無いというのです。
 しかし、私自身の子供のころの風景を思い浮かべたら、この句は『玉川の里』に違いないと思うのです。
 確かに、今でこそ富田の町から『玉川の里』付近までずっと住宅地が続き、富田団地、玉川橋団地、白川住宅、柳川町、西町など中高層の住宅もたくさんありますので、とても見通すことなどできません。しかし、私の子供のころは富田の町を出ると玉川まで田んぼが続き、柳川の柳越しに玉川が望めたのです。富田に滞在したのなら、一歩足を伸ばせば『玉川の里』に行けるのです。千年も昔から『歌枕』として有名な『玉川の里』を芭蕉が見逃すというほうが不自然なことと感じ、天保14年に句碑を建てた西面(さいめ)の人たちのほうが正しいと思うのです。(裕)

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